mtzq.net [ デイタンソウ | PEAT BED ]

EXODUS・ニゲロヤニゲロモンタージュ内またで歩くとき空がひらく直立した姿勢から知覚された世界の類似物ではもはやなく、便宜的に垂直に置かれた情報のマトリックス目に見えるものは見えないものの投影にすぎない。こうした移行を物化(すなわち万物の変化)と名付けるのだ。邯鄲の夢人撰して一人也花の陰物語は受け手の側にある。無理な注文を乞う可笑しさを笑う夢喰い虫地球上で一番やさしい動物少しずつ狂ってゆくベガーズ・バンケット高級芸術とマスコミ文化の間の区別の解消をポストモダニズムと呼ぶ手紙の形式による夢お月様こんばんは樹と 樹を見ること 夢はどちらにあるのだろう田舎の未来派脳味噌までとろけた脊髄までしびれた因果応報の遠近法今流行っているロックは墓石なんだ。ロックは、10億ドルの墓石の商売に成長したこぼれおちるもの私たちのなかには 無数のものが生きているこの上の望は目に見えぬものをぬすむことである。自分とはたんに 感覚や思念の 場にすぎないのだ透明のはこが死だといふことも。人は自分の欲望によって書く、そして私はまだ欲望しおえてはいないのだ。袋小路としての半島言葉に躓く部品工場ツヌガアラストmental sketch modifiedフニクリフニクラフニクリフニクラ隠喩としての断片のミルフィーユ言語の搾取問題難破した話待つこと忘れることカルマの円環構造私は悪人になりまする、なりたうはなけれどならねばなりませぬ過酸化マンガン水の夢盥から盥へうつるちんぷんかんぷん自然世界へ立ち返る画像は、通常の直立の姿勢で経験される感覚データを呼び起こすが、それによってルネサンスの絵画平面において垂直性がその本質的条件になっているもうずいぶんまえから、私は私ではない。うすばかげろぐじつはむかしのをんなこの夢の主は、死という名をもっているのではないか。記憶の海を漂う夢の断片人は自分の欲望によって書く、そして私はまだ欲望しおえてはいないのだ。脱進化論としてのシマウマダツタイヌおれはひとりの修羅なのだ物語は受け手の側にある。サイノカワラデロックンロール科学的アプローチ空は青く唇紅く傘さして出かける次々とこわれて行く図柄を図柄とする作品の可能性。作品の破れ目ができ、作品内の時間が作品外の時間とショートして火花を上げる思い出せない夢勝てばドイツ人だが負ければ移民自己参照ループが検出されましたTime Out Of Mind人生ではじめに学ぶのは自分が馬鹿だということだ。人生で最後に学ぶのは自分がやはり変わらぬバカだということだ。ブリコラージュアサキユメミシエゴイストわがいほはくちなはとはにからみあひ文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である。いやならいやだと言っていいのだから。あたしが言おう大津絵に糞落としゆく燕かな盥から盥へうつるちんぷんかんぷんストリップよ。あたしはすべての技巧派をケイベツする立場だもん。現在の私も 過去の私も/異なるふたつの夢にすぎない鞘羽をしまう甲虫鬼を出したと思った時は、自身が鬼になっているのです。だから、その鬼に対して済まないと思えばよい。世の中で済まないものを一人でも持っているというのは、幸福なことです。夜汽車ゆく光圏来る氷柱去る氷柱記憶の分有は可能か?この夢の主は死という名をもっているのではないか私とは、わたしとわたし自身とのあいだのこの間である。くらげ小母さんさんが磯に泳ぎついた/象が彼女を愛してた